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トウカイテイオーが無敗のダービー馬となった1991年はどんな年だったのか?

2019/05/23

記事カテゴリ:競馬王書籍

今週の日曜日に、第86回日本ダービーが行われます。

1番人気が予想されるサートゥルナーリアは、ここを勝つとディープインパクト以来、11頭目の無敗のダービー馬となります。

 

というわけで今日は、電子版限定の新刊「消えた名馬 ―年度代表馬で振り返る平成史―」から、トウカイテイオーが無敗のダービー馬となった1991年の章を抜粋します。

1991年はどんな年だったのか? あの日、あの時が蘇ります。

 

 

平成3年(1991年)トウカイテイオー

 

 父シンボリルドルフは、はじめて無敗で三冠を達成した〝皇帝〟。その息子が〝帝王〟。そのベタな馬名に恥じることなく、皐月賞大外18番枠①着・ダービーも大外20番枠①着と無敗で二冠を達成したトウカイテイオー。

 ダービーでは、前年歴代最高入場者数196517人で盛り上がった〝ナカノコール〟に引き続き、売上高初の400億円を突破し、〝ヤスダコール〟が場内に鳴り響いた。鞍上の安田隆行騎手はデビュー20年目にして初のGⅠ制覇だった。

 この盛況ぶりを秋につなげと誰もが望んだが、好事魔多し「トウカイテイオー骨折」のニュースに、当時の流行語で「菊花賞、ダメじゃあ~りませんか」と嘆いたり、トレンディドラマ「101回目のプロポーズ」で武田鉄矢が言ったセリフをもじって「テイオーは死にましぇ~ん」と口さがない連中が、オープンしたばかりのジュリアナ東京でお立ち台のワンレンボディコンを口説いたりしていた。

 

 トウカイテイオー故障。では、古馬陣はどうしていたかというと、大将格のメジロマックイーンが、天皇賞春①着・宝塚記念②着と、ここまでは良かったのだが、秋の天皇賞で1位入線・降着⑱着というこの年から導入された降着制度の制裁を課されリズムを崩し、ジャパンC④着。そして有馬記念では、レース史上初の単勝万馬券、14番人気ダイユウサクにまんまとはめられ②着に敗れた。

 

 結局、無敗の二冠が高く評価されたトウカイテイオーが年度代表馬に選出された。

 

 翌年、テイオーは春の天皇賞⑤着後にまた骨折が判明し休養。故障の連続だったが、暮れの有馬では17万票を集めその人気ぶりは健在だった。しかし期待を大きく裏切る⑪着惨敗。そして、翌H5年宝塚記念に向けて順調に調整されていたが、またまた骨折。このまま終わるのか。いや名馬にはドラマがつきものだ。H3年のレコード大賞KANの〝愛は勝つ〟を信じたファンに後押しされ、なんと364日ぶりの参戦となった有馬で有終の美(休養明けGⅠ戦①着馬の最長記録)を飾り、鞍上の田原騎手が男泣きし、〝テイオーは死にましぇ~ん〟を地でいった。

 

 故障の連続だったテイオーだが、やはり懸念は「疲労」。GⅠ戦を7回走って、もっとも馬券的に支持を集めたH4年の天皇賞春で1.5倍の1番人気で⑤着に敗れた。

 そこで天皇賞春の消去法。

 

 天皇賞GⅠ格付けのS59年以降、「3連勝以上していた馬は、前3走内に2500m以上の重賞戦で4馬身以上の楽勝があった馬を除き[00312]」。

 H25年ゴールドシップも、H29年サトノダイヤモンドもこのデータに飲み込まれている。

 

教訓:好調は長くは続かない。連勝の中身を慎重に吟味すべし。

 

 

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