パチンコ一本

バイク修次郎の日々のパチンコ実戦&収支をガチ報告! 勝ち方教えます!

パチンコとの馴れ初め

2017/08/15

記事カテゴリ:日本全国旅打ち日記

今は、日本全国旅打ち日記の取材で、群馬県にて実戦中です。ちなみに前回の#8滋賀旅の動画は、こちらからご覧になれます。

 

映像でも話していますが、滋賀で打ったホールは偶然にも、胃ガンで亡くなった親父が入院していた病院近くなんです。

 

そのことはガイドの誌面でも書きましたが文字数が限られていたので、あらためてパチンコを初めて打った頃&親父が亡くなる直前の話しをお伝えしますね。

 

パチンコを初めて打ったのは40年程前。小学生の頃父に連れられ、大阪の牧野駅前にあったホールで、手打ち台を触わりました。その時の感情は覚えていませんが、それからとある理由で玉の動きに病み付きになりました。

 

小学生ながら店に入り浸ったから……ではなく、その店の新装開店時に親父が撤去台を持って帰ってきたから。ある日親父が、「200円で台売ってもらったぞ。お前、これで遊べ」と。その店の当時の新台入れ替え時は、撤去台は店裏に野積みだったので、仲の良い店員さんから売ってもらったようです。

 

その日から我が子供部屋には、パチンコ台が設置(タンスに立て掛けてた)され、ウチで練習→近所の駄菓子屋にあったパチンコ台で大当りさせて景品ゲット! の悪循環?が始まり、現在に至ります。今でも部屋には、『スケバン刑事』の実機がありますが、この頃の影響からか枕元にパチンコ台があると落ち着くんですよねー。

 

どっぷりとパチンコの魅力にハマった小学生の夏休みの図画工作の宿題は、パチンコ台を制作。ベニヤに釘打つバージョンと、お菓子の箱に紙で玉の通る道を作って転がすバージョン。自信を持って当たり前に提出してましたが、先生は心配だったろうな…センセー! 僕、立派に育ちましたよー。

 

息子にパチンコ台を与える変態親父とは、中学生の頃まで仲良かったのですが、一時酒乱に…それが嫌になり、その後十数年間、ほとんど口を聞かない間柄になりました。なんやかんや厳格な父には、2002年からパチンコライターになったことを言えず仕舞いで、時は流れて2012年…。

 

親父は、ステージ4の胃ガンにかかってることが発覚したのです。当時伝えてた自分の仕事は、前職である携帯電話の液晶パネルを作ってる派遣社員。このまま親父が死んだら……

 

これじゃいかん! 意を決してパチンコ必勝ガイドを手に持ち、親父の病室をノックしました。

 

《次回に続く》
では、バイバイク。