2015/09/24
押忍。
ガル憎でございます。
今回は真面目なオハナシを。
先日発生した「関東・東北豪雨」。
これについて少しばかり書かせてもらいます
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拝啓 ニイサン
発売中のMAX最新(10月)号に掲載する広島土砂災害の原稿を執筆。
頑張って頑張って書いて脱稿、あとは販売を待つのみ。
そんなタイミングで、妙にシンクロするかのごとく「関東・東北豪雨」が発生。
広島と同じ雨による水害ということで過敏に反応、
まずはすぐ必要になるであろう支援物資などをツイッターやブログを通して募集、
復旧作業のタイミングで現地に持って行き、
その時の様子とか現状を発信したりしてるんだけど、
こういうの「やってる」と、
発信のサジ加減が難しいんですよね。
なんでもかんでも情報を発信するワケにはいかない。
といって黙ってるワケにもいかない。
つまり。
いま「自分が発信してる量」が自分の中で「適量」と思っているのですが、
こういうのどう思います?
本当は俺なんてボランティア行っても黙ってたいんです。
でも割と言うんです。
なぜかというと「それでひとりでも動いてくれたらいい」と思ってるから。
俺は広島に来てます。
被災地です。
泥まみれです。
仲間です。
見方によっては「偽善者」だろうし「社会貢献してますアピール」だろうし、
実際のところ発信すればするほどそういう目で見られるんですが、
なんかそれを「使命」のように感じてる部分があるんです。
俺はなんでライターやってんの?
場所は限られてるけど(=パチ業界)腐ってもメディア。
なにかを発信する仕事。
じゃあ「その証」みたいなものを残したい。
そう考えるんですよね。
せっかく人に「なにか」を発信できる立場にいさせてもらえるんだから、
やらなきゃもったいない的な。
自分の考えというより「自分の仕事を考えた時」にそういう感覚が浮かんできます。
この手の情報を発信しない人もいます。
だからって問題はありません。
人それぞれ。
でも。
やっぱり自身が「発信」する時は迷うんです。
話をまとめるとそれだけのことなんですが、
こういうのってニイサンはどう思いますか?
ちょっと抽象的かもしれないですが。
パチスロライターは「なに」を「どこ」まで発信すればいいんですかね?
今回はそんな真面目な質問をしてみます。
押忍。