アニかつ&ガル憎の回胴交換日記

結成から19年を迎えるマッパチのアニマルかつみとガル憎の交換日記!

25年前の日常 from ガル憎

2015/08/06

 

押忍。ガル憎でございます。

ついに始まった「アニかつ&ガル憎の回胴交換日記~Diary of the MAD PACHI-SLOT」。

 

俺とニイサンによる交換日記。わはは。交換日記て。中学生か。青春か。いやいや、これは大人の交換日記。来た球を打つ。投げたい球を投げる。ある種、勝負的な一面もあって面白そう。ヨロシク~!

 

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押忍 ニイサン

 

パチスロ必勝ガイド定期創刊25周年記念、創刊号である1990年9月号が発売されたころの思い出…ですか。1990年から生まれた年の1974年を引くと「16」という数字が出てきますね。ちょうど大学生のころですね。え~と、違います?

 

 

 

言うまでもなく俺は広島。大学生と称した高校生をやっておりましたが、ニイサンの言う「バブル絶頂期」。これ、ぜんぜんピンと来ないんですよね。中学3年くらいの時に先生が「バブルがどうこう」とか「シーマ現象」とか言ってたけど、だからなんだって感じで。とりあえずバンドをしながら焼鳥屋でバイト、有り金をバンドやパチ屋につぎ込む日々でした。

 

基本はニイサンと一緒ですよね。まずはパチンコを打って勝つ。これが第一の目標。それが達成できたら、そのお金でパチスロを打つ。んで、無くなる。最初のころは立ち回りもクソも無くて、とにかく「打ちたい」の一心でした。

 

モーニング。これはもう、神様からのプレゼント。広島駅前の某店でモーニングの存在を知り、通い、今度は別の店へ。目当てはオリンピアの2号機「バニーガール」。その店、打ち込み機(ビッグが成立するまでオートプレイをさせる機械)を使ってて、出目がそのままだったんですよ。なので、朝イチにズレ目の台を打ってビッグをツモる。夢のような日々でした。

 

ようするに、オートプレイでビッグが成立した時点でプレイが止まる。ビッグが成立してるからリーチ目が出る。店がそのままにしてた。ニイサン、こういうありがたい店、たまにありましたよね~。

 

 

パチンコで言うと、当時ハマってたのはマジカペこと初代マジックカーペット(SANKYO)。これはゴム打ちですよ、ゴム打ち。釘調整は左半分がメインだから、右半分の釘調整が甘い店ならゴム打ち(いまで言う右打ち)の方がよく当たるってヤツ。ニイサンに言うまでも無いですが。

 

 

…みたいな話をしてたら昔の話だけで終わってしまいそうなんで、ここで変化球、黒田で言うならフロントドアを投じます(知らない人は調べなさい)。ニイサンがスロ専の店長だったら、どんな機種構成、営業方針にします? すべて自分に権限があるとしたら。

 

こういう話、したことないんで面白そう。