2015/08/17
まいど。アニかつです。
先週は、ガル憎くんからの「もしもスロ専の店長になったら?」という問いかけに対し、割と真面目にあれこれ考えてみたんだけど。
またしても唐突な話題変換の変化球。
ガツンと打ち返しますか。
-----------------------------
拝啓 ガル憎くん
前回のテーマ、「もしもスロ専の店長だったら」。きみの考えは、おおむね想定どおりだったな。
レトロな店の佇まい、パンチの効いた中年店員…たぶん、そうくると思ってた。
とにかく、我々がパチやスロを覚えた当時は、どこの店もそんな感じだったね。
マニュアルどおりの杓子定規な接客もなく、客が行儀悪いことしたら遠慮無く怒る。へたすりゃ、殴られたりもする。客も怖かったけど、それ以上に店員が怖かった。だから、パチ屋というひとつ屋根の下、社会的秩序が保たれてたと思う。
いまは、そういう「怒る大人」がいなくなったからね。これはパチ屋の中だけじゃない。学校や実社会においても、そう。
体罰を容認するわけじゃないけど、いまの子供たちは痛みを知らないから、無情なイジメや犯罪が増えたんじゃないかと、自分は思います。
…おっと。ちと話が逸れてきたので、新たな質問であるところの「ずっと東京にいますか?」に対する回答に移りましょうかね。
自分が東京に拠点を移したのは、いまから24年前の1991年。25歳の時だった。
前にも話したとおり、高校を中退し十代半ばから音楽の世界にどっぷり浸っていて、ライヴハウスレベルでは、まぁまぁなところまでいって、一応はメジャーレーベルからもデビューさせてもらった。
でも、一向に音楽だけでメシが喰えるまでにはなれず、色々と行き詰まりを感じていたのね。関西での生活に。
そんな時、東京の知り合いのバンドから誘われて。「これが最後の賭けや!!」と一念発起して、東京へ移住したの。
結局、そのバンドも1年ちょっとで崩壊して、まぁ…夢、破れたというか、なんというか。手首を怪我して楽器を弾けなくなったのもあって、「これが潮時か」と、音楽から足を洗った。
在阪時代から生活を共にしてきた彼女にも、逃げられてね。もう、完全に人生の曲がり角に差し掛かっていた感じ。でも、帰ろうという選択肢は、不思議と無かったね。
で、今後の人生、どうしようか…と迷っている時、たまたま縁のあったパチスロ必勝ガイドの秋山プロからの誘いで当時の人気企画「13時間デスマッチ」に読者代表として参戦して、その時に書いた実戦記の文章が編集部に認められ、ライターに登用された…と。
最初のうちは当然、仕事も少なく、アルバイトとの掛け持ちで生活は苦しかったんだけど、半年もすると月に何十ページも抱えるメインライターのひとりになってた。
そこで思ったね。「これは天職だ。東京に骨を埋めるつもりで、頑張ろう」と。
いまはインターネットがあるから、我々のような仕事は東京にいなくても成立する。でも、なんやかんやでメディアの発信源は東京にあるわけだから、東京にいる方が都合がいいというか。
まぁ、そういった仕事の都合を抜きにしても、尼崎に帰るつもりは、当面ありません。
そりゃあ、大好きだよ。我が生まれ育った尼崎という街は。住んでた頃は気づかなかったけどね。離れてみて、客観的にみて、「ああ、こんな素晴らしい街だったのか」と。
でも、帰らない。もう両親もいないし、実家はとっくの昔に弟家族に委ねてあるし。家族ではあるけど、もう完全に他人の家な感じだもん。
とにかく。一念発起して東京へ移住して生活の基盤も出来上がっちゃったから、当面はそれをリセットする予定はないね。
いまの仕事があと何年、続けられるかはわからないけど。先にも言ったとおり、東京に骨を埋めるつもりです。
ガル憎くんは、やっぱりいずれは広島へ戻るのかな?